• 【JAEのSTORY#1】創業の原点、改めて教えてください
  • 2022.02.05

    #創業Story #子ども起業塾 #未来を創る

    代表・坂野が聞きました。「創業の原点、改めて教えてください」
    J A E創業者・山中昌幸インタビュー 

    2001年に東大阪でスタートした子ども向けの起業家教育(アントレプレナーシップ)教室。これがNPO法人JAEのはじまりです。その後、小・中・高校でのキャリア教育プログラム「ドリカムスクール」や、大学生を対象とした長期実践型インターンシップ「アントレターン」などを開発・実践。数多くの子ども・若者が未来を描くお手伝いをしてきました。創業から20年を迎え、改めて創業者・山中氏に現在JAE代表を務める坂野がインタビューを実施。創業時の背景や思いについて話を聞きました。

    ―中国留学で受けた衝撃

    坂野:いろんな方に創業の話を聞かれるときに、いつも山中さんが中国に留学してた時のことをお伝えしてるんです。夢を熱く語る中国の若者の姿に衝撃を受けた、ということだったと思うんですけど、その辺りの背景やもう少しそこへ至るまでの話を改めて伺いたいと思って。

    山中:大学4年のときに交換留学生として中国へ行ったんだよね。高校教員を志望してたんだけど、社会経験をたくさん積んでから教員になりたいと思ってて。当時(1994年)の中国はまだ天安門事件の影響が残っていたし、発展途上国と言えるくらいの社会情勢で。まだまだ貧しかったよね。

    坂野:華南師範大学に留学されたんですよね。留学生用のコースだったんですか?

    山中:そうそう。日本人も多かったけど、いろんな国からも学生が来てたね。アメリカとか台湾とかね。

    坂野:中国人学生との接点って結構あったんですか?

    山中:大学の敷地内に留学生用の寮と中国全土から集まってきた学生用の寮があったから、交流はしょっちゅう。一緒にサッカーしたり、交換語学レッスンしたり。そんな中で、みんなの夢をたくさん聞く機会があって。自分には個人として「高校教員になりたい」という夢はあったけど、中国人学生は「鉄道会社に入ってインフラを整えたい」、とか「起業して経済を盛り上げたい」っていう社会のため、国のために、という夢をみんなが語っていて。国としてまだまだ貧しかったってこともあったけど、地域や国を豊かにしたい、という熱い志を聞いて本当に衝撃だった。

    坂野:そこで日本の学生とのギャップを感じて、子どもたちが夢に挑戦できる環境を作っていきたい、ということにつながったんですね。

    山中:熱く地域のため、社会のために、と語る姿に、同じ大学生でもこんなに違うんだ、って。しかもみんなめちゃくちゃ勉強してたんだよね。まだしょっちゅう停電するような状況だったから、みんな常にろうそくを持っててね。その灯りで勉強してる姿を見て、ほんとに衝撃で。日本でそんな学生に会ったことがなかったから。もともと日本にいるときから、(日本の教育に)夢を見つけられるような機会が少ないな、という問題意識はあったんだけど、まぁそんなもんかな?と思ってた。夢がないのが当たり前、というか。振り返ると中学時代からそんな問題意識はあったよね。夢を育まない教育だなっていうか。

    ―中学時代の絶望から人生を変えた高校での出会い

    坂野:その問題意識を抱くようになったきっかけってあったんですか?

    山中:うちは親が転勤族だったこともあって、3〜4年に一度は転校してたんだよね。中学2年のときに広島から大阪に転校したときは、初日からいじめを受けた。当時は学校が荒れてた時期でもあったけど、先生も見て見ぬふりで。絶望したし、その時に生まれた先生に対する反発心は、本当に強かったね。

    その後、また親が東京に転勤となって、高校進学のタイミングだったので、そこである意味リセットできたんだよね。中学では定期試験も受けられない状態だったから、内申もないし成績も本当にどん底で。で唯一受かったのが、都立で一番偏差値が低い高校。38くらいだったかな。

    でも、そんな学校だからこそなのか、今でいうキャリア教育的なことをしていて、担任の先生がむちゃくちゃ良くて。その時に教えてもらったのが立花隆さんの『青春漂流』という著書。自分らしい面白い生き方をしている大人の存在をいろんな形でたくさん紹介してくれていて「こういう生き方とか働き方ってあるんだな」と。当時は大人に対する反発心も強く、将来になんの希望も持ててなかったのが、「こんな生き方いいな」、とはじめて自分の将来に希望を持つようになったんだよね。そこからとりあえず勉強と部活は一生懸命やってみよう、と。そうするとそれまで勉強してなかったせいもあって、学年で下の方だったのが、どんどん上がって10位以内になり、最後には1〜2位になって。部活も本腰入れたらすごく面白くなって強くなって、自信がついてきて。

     ◀︎大きな影響を受けた立花隆氏の著作「青春漂流」

    坂野:めっちゃいいスパイラルに入ったんですね。

    山中:そうそう。将来に対して希望をまったく持てなかった人生が劇的に変わったから、夢とか目標を持つってすごいなと実感したとともに、教員という仕事ってすごいな。と。そこから教員をめざしたんだよね。

    ―夢や目標を持たない学生たち

    坂野:目標を持って大学に入ってからは、どんな感じだったんですか?

    山中:うちの高校から大学に行くのって一握りだったから、みんな自分みたいに目標や強い想いを持って入学していると思ってたんだけど、入ってみたらそうでもなくて。それも衝撃だったね。目的意識を持って入ったのに「あれ?」って。仮面浪人も検討したくらい。でもそこで諦めるんじゃなくて盛り上げようと気持ちを切り替えたんだよね。学科対抗野球大会とか100人の合同コンパを企画したり、学祭も2年生で実行委員長になったり。それまでのやり方なんかも変えて、結構大学の職員さんとバトったりもしてたね。そういう活動もしてたんで、他大学の学生とも結構つながってたんだよね。いわゆる偏差値の高い大学の学生とも交流があって。でも意外にもそんな大学の学生でも夢や目標を持ってる学生は少なかったよね。そんなもんか、と感じてた。

    坂野:だからこそ中国に行ったときにギャップは大きかったんですね。

    山中:同じ学生でも夢を持って熱くがんばっている人たちがいるんだ、こうなれるんだ、と。中国も決してキャリア教育をやってたわけではなく、当時の社会背景が大きいんだけど。でもそこで高校時代を振り替えってみると今でいうキャリア教育を受けていたんだな、と気づいて。そこで人生が変わった実感があったから、あれは大事だったんだな、と。そんなふうに「生き方」「働き方」を考える機会を提供したい、目的意識を持つ機会を子どもたちに持ってほしいな、と思ったんだよね。その想いが子ども起業家教育の教室という形で実現して、JAEが動き出した感じかな。

    坂野:そこが本当にJAEの原点ですね。現在私たちは大学生のインターンシップや小中高校生のドリカムスクールを中心に事業展開をしていますが、将来を選択できるようなきっかけ、環境を作っていこうという点では全く同じです。時代背景は変化していますが、山中さんの創業時の想いと現在の私たちの想いがずれていないことを改めて確認できてよかったです。山中さんの想いを引き継ぎながら、さらにバージョンアップして新たな10年を進めていきたいと思います。今日はありがとうございました。

    ▲現在は淡路島で大学生とともに「淡路ラボ」というプロジェクトを主宰。「未来を創る」というビジョンに向かって突き進んでいる山中さん。

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