2022.09.21
#ドリカムスクール #小学生 #キャリア教育 #小中連携
泉南市立鳴滝小学校 奥田好幸校長先生インタビュー
2001年に東大阪でスタートした子ども向けの起業家教育(アントレプレナーシップ)教室。これがNPO法人JAEのはじまりです。その後、小・中・高校でのキャリア教育プログラム「ドリカムスクール」や、大学生を対象とした長期実践型インターンシップ「アントレターン」などを開発・実践。数多くの子ども・若者が未来を描くお手伝いをしてきました。
今回は、泉南市教育委員会で8年間キャリア教育の推進を担当され、現在は泉南市立鳴滝小学校の学校長に着任されている奥田校長のインタビューです。
2011年に泉南中学校区が大阪府のキャリア教育推進サポーター事業のモデル校となり、そこから泉南市とJAEとの協働がはじまりました。当時、鳴滝小学校の人権教育担当をされていた奥田先生がキャリア教育の窓口に。そこからずっとご一緒いただいています。
―JAEと協働いただいて10年以上になります
2011年に、泉南中学校区では、大阪府教育委員会のキャリア教育プログラム実践事業を受け、中学校区としてキャリア教育を推進していくことになりました。その時、キャリアコーディネーターとしてJAEの塩見さんが来られました。そこからずっと泉南市のキャリア教育推進事業を担当いただき、現在はキャリア教育アドバイザーとしても関わっていただいています。
―奥田先生がキャリア教育の担当者だったんですね
当時私は、泉南中学校区にある鳴滝小学校に勤務しており、人権教育を担当していました。泉南中学校区では、泉南中学校区小中連携推進委員会(略称SSS)を組織し、小中連携の形を模索していました。キャリア教育については、SSSの学校交流部会で研究を進めていて、私は部員として研究に参加していました。
事業がはじまった当初、キャリア教育といえば職業訓練的な学習というイメージでした。ただ、JAEさんと協働する中でキャリア教育とは「生き方をどう考えていくのか」という概念なのだということを理解しました。「それって人権教育とつながるところあるよね」と人権教育をベースにしたキャリア教育を推進していく、という方向性ができていきました。
2013年からは、SSSに泉南中学校区にある保育所・幼稚園・認定こども園・青少年センターも加盟し、泉南中学校区キャリア教育推進委員会(略称SCS)として、研究を進めています。
―学校や子どもたちが抱える課題はどこにありましたか?
家庭環境が厳しく、「何のために勉強するのか?」その必要性を見出すことが難しい子どもたちが多い実態があります。高校進学率も低く、大学進学や就職まで、自分の将来を見通すことが難しい。とりあえず高校進学はしたものの、目標を見つけられずに1〜2か月後に退学、という卒業生の姿を多く見る中で、子どもたちの将来を見据えたときに、どのようなキャリアを積んで大人になっていくのか、ということを、早い段階から身につける必要があるということを実感していました。
―その思いの中で、ドリカムスクールの取り組みがスタートしたんですね
SCSでは、2016年から小学校高学年で「ドリカムスクール」を実施しています。泉南中学校区の小学校では以前から、仕事に関する学習の一つとして、職業体験を実施していました。ただ、当時の職業体験学習では受け入れ状況や子どもの学ぶ態度などによって、どうしても得られる学びに差があることが課題でした。深い学習、本気の学びがどこまで提供できているのか、私たち教職員が毎年新しい受け入れ先を開拓することもなかなか難しいー。そこはどの学校も苦労しているところです。
しかし、ドリカムスクールでは、子どもたちに企業からミッションが提示されて、そのミッションに取り組むことで、子どもたちが仕事を疑似体験することができる。1つの仕事について、子どもたちがじっくり考えることができるのが、魅力ですね。社員さんも本気になってアドバイスをくれるので、子どもたちは仕事の楽しさだけでなく厳しさも感じることができます。
また、協働いただいた企業が、中学校区にある山陽製紙さんだったことも、大きかったですね。社長さんが泉南中学校の卒業生だったり、ドリカムに来てくれた社員さんが鳴滝小学校の卒業生だったり。子どもたちにとって身近な先輩が、いろんなことを考えながら働いていることを、実際に見たり聞いたり肌で感じることができるというのは、一番大きかった。これまで6年間、山陽製紙さんにお世話になっていますが、毎年新しい発見が常にあります。
―子どもたちの満足度はいかがでしたか?
最後のプレゼン大会で優勝するのは、1チームだけです。ですが、他のチームも「自分たちのアイデアのここがよかった」とか「社員さんがここをほめてくれて、嬉しかった」など、どんな形であれ、がんばったことに対して、一定の評価を得られます。子どもたちの満足度は、高かったと思いますね。
日々の授業の中では、「どうせやっても、わからへんし」など、ついつい投げやりな態度になってしまう子どもたちも多い。どうやって彼らのモチベーションを上げるのかが、私たちも一番気を配って、力を入れてるところです。ドリカムスクールは、子どもたちにやる気と達成感を両方味合わせてくれるプログラムだなと思います。
―これからのドリカムの展開はいかがでしょうか
今、泉南市全体で小中学校の再編計画が議論されています。その中で、泉南中学校区の3小学校を統合する案がでています。現在は、3小学校のうち毎年1校で順番にドリカムを実施する形なんですが、統合を見据えて、今からドリカムの取り組みを3つの小学校で毎年できればと考えています。タブレット端末も1人1台配布されたので、3つの小学校の5年生が一緒にドリカムに取り組んで、最後のプレゼン大会も合同で開催ということが、もう実現可能です。それができると、泉南中学校に進学する全児童がドリカムを経験することになり、さらに中学校でのキャリア教育の展開が面白くなってくると思います。
―それが進路選択にもつながっていく?
ドリカムを経験したことで、子どもたちは「自分は、人と話をして意見を合わせる力が弱いな」とか「人前で話すのが苦手だな」というように、自分のことを見つめ直します。自分の課題を克服するためにどんな勉強しようかと考える。そして、中学校への学習につなげていく。それが、将来の仕事やキャリアに直結するかどうかはわかりませんが、中学校で進路を考えるときにドリカムで経験したことを生かして進路決定ができるといいなと思っています。
―長年継続している中での課題はいかがでしょう
長年継続していると、山陽製紙さんにとって「参画いただく価値をどう組み立てていくのか」というところは、学校側では提案できないところがあります。学校と企業がどちらもwin-winになるように、JAEさんがコーディネートしてくれる、というところが大きいですね。子どもたちも社会や企業の状況も、日々変わっていきます。それらをすり合わせてプログラムを組み立てていくという部分でも、サポートしていただいていますね。
―そこがコーディネーターの存在意義でしょうか
キャリア教育コーディネーターとして、各校のキャリア教育の取り組みを把握している塩見さんの存在は、教育委員会の指導主事時代は、特にありがたかったです。塩見さんは、各校の先生方と結構深い話をしてくださっています。先生方も、日々の困り感や悩みを、コーディネーターに話しています。ですので、塩見さんが泉南市に来たときは、帰る前に教育委員会に寄ってもらい、情報共有をお願いしていました。
―コーディネーターとしてだけでなく、キャリア教育アドバイザーとしてJAEが入ることになったきっかけは?
泉南市には4つの中学校区がありますが、2014年頃に大阪府教育委員会から「全ての中学校区でキャリア教育の全体指導計画を作りなさい」という通達がありました。泉南中学校区では、その通達より前に、JAEさんと一緒に「めざすハタチ像とつけたい力」を教職員で考える取り組みをしていたので、他の中学校区にも同じようにJAEさんと一緒に取り組むことで、各中学校区の子どもたちの現状に合わせたキャリア教育を推進できるんじゃないか、と考えました。
そこですべての中学校区に入っていただき、それぞれの「めざすハタチ像」の構築をコーディネートしていただきました。今では、4つの中学校区でそれぞれの「めざすハタチ像」ができあがっています。少しずつ違いはありますが、自分の生き方をどう構築していくのかを常に考え続ける子どもを育てないといけないということは、共通しています。
また、この取り組みにより、小・中学校の全教職員で議論し考えた目標が共有できているだけでなく、小学校と中学校の先生方、小学校間の先生方のつながりができました。中学校区の中学・小学校をつなぐ役割を担っていただいたかな、と思います。
▲2013年度SCS全体学習会「めざすハタチ像づくり」のようす
―それ以前には小中学校間・小学校間の連携はあまりなかったんでしょうか
泉南中学校区では、「0歳から15歳までの育ちを見る」という合言葉の元、幼稚園・保育園と小中学校の連携会議がありました。私たちも幼稚園、保育園を訪問し、子どもたちの様子を共有し、幼稚園・保育園の遊びがどう学びにつながっているのか、小学校の学びをどう中学校につなげていくのか、という連携を大事にしてきていました。
しかし、他の中学校区では、そのような連携はありませんでした。今でこそ、泉南市として小中一貫教育を推進していこうという流れもあり、連携の機会は増えてきていますが、そのタイミングで各中学校区の小学校・中学校の先生が集まる場を持てたのは大きかったですね。
―先生方の授業のあり方にも影響はありましたか
めざすハタチ像を作った後に、そのハタチ像をめざすためにどのような力をつける必要があるかを、各校で話し合ってもらいました。「つけたい力」を意識して、授業を展開することで、先生方は「今、教えている算数の授業が、どうつながるんだ」「この英語の授業を、その力をつけるために、どう組み立てたらいいんだろうか」というように立ち戻ることができます。一番大事なポイントですね。
―最後に奥田校長の教師としての原点を教えていただきたいです
大阪府の教員採用試験に合格し、最初に赴任したのが鳴滝第一小学校でした。20数人のクラスで半分くらいがひとり親家庭。祖父母宅で育てられている子もいました。一番印象に残っているのは、当時6年生と3年生のきょうだいです。事情があって、数ヶ月お母さんが不在になったんです。毎朝、家庭訪問して彼らを起こし「学校へ来いよ」と声をかけ様子を見ることが、2〜3か月続きました。彼は、大きくなっても私のことを覚えてくれていて、成人したときには教育委員会まで報告にきてくれました。保護者も「子どものために」と精一杯やっているのですが、なかなか子どもたちの成長にかえっていかない。そこをどれだけ学校としてサポートできるか考えて動くのが、人権担当の仕事だとの思いで、動いていました。
―とても濃い関係を築いておられたんですね
よく先輩から「子どもたちの生活を見なければ、ちゃんとした指導はできない」と言われました。子どもたちと一緒に帰って、その子の家で宿題を見守ることもありました。保護者と雑談する中で、子どもにどんな期待をかけているのか、生活にどんな不安を抱えているのかなど、キャッチすることができます。学校でみせる子どもの姿だけでは、成績や忘れ物など、一面的なところしか見ることができません。でも実は、家できょうだいの面倒を見ながら宿題をやっていたりする。そこに教師が気づくことができると、宿題ができない理由を理解しながら「でも宿題をやり切るためにはどうするか」という話が、できるようになります。子どもは家庭環境を選ぶことはできません。その子の実情にあった指導や支援は、それぞれ違うはずです。それをどうキャッチして実際の取り組みにしていくか、ということが先生方には求められているかなと思います。
―ずっとキャリア教育を大事に思っておられる理由はどこにありますか
このような生活環境にいる子どもたちの多くは、見通しを立てることが難しい子が多いんです。「毎日決まった時間に晩ご飯」ではなく「お母さんが帰ってきたときに晩ご飯」なんです。そんな生活環境の子どもたちに、「中学卒業後は、高校に行って、大学に行って、こういう人生を設計するんだよ」という話をしても、それを組み立てることがなかなか難しい。ですが、キャリア教育を段階的に経験することで、「こういう勉強していたら、こういう高校に入れる」「こういう仕事に就こうと思ったら、中学で勉強しておく必要がある」ということを、おぼろげながらも子どもたちがつかんでくれたらいいなと思っています。
―お忙しい中、ありがとうございました!
聞き手:林(JAE広報)