• 【JAEのSTORY#12】「体験こそが学び」を原点にワクワクを創出
  • 2022.12.28

    #インターンシップ #アントレターン #大学生 #起業家教育 #スタッフインタビュー

    JAEスタッフ・松田雅子インタビュー 

    2001年に東大阪でスタートした子ども向けの起業家教育(アントレプレナーシップ)教室。それがNPO法人JAEのはじまりです。その後、小・中・高校でのキャリア教育プログラム「ドリカムスクール」や、大学生を対象とした長期実践型インターンシップ「アントレターン」などを開発・実践。数多くの子ども・若者が未来を描くお手伝いをしてきました。

    今回は、JAE職員として事務局や大学のインターンプログラムなどの運営を担う松田雅子のインタビューです。

    個別指導の学習塾の塾長などを経てJAEに入職した松田雅子。現在、関西学院大学で協働実施している『ハンズオン・ラーニング・プログラム』を担当しながら、小学生を対象とした『わくわく未来ラボ』の企画運営にも携わっています。子どもたちの“ワクワク”創出に情熱をかける原点やこれまでの歩みを聞きました。

    ―キャリア教育を意識されたきっかけを教えてください

    私が幼稚園生のころ、父が大学時代に仲間と北海道でヒッチハイクをしたときのことを話してくれたんです。お金がなくなったら地元の人と海でわかめを採って売っては旅を続けたという体験なんですが、「大学の授業よりもその経験から学んだことのほうが多かった。机上の学びよりも経験しろ」という話でした。そのときに「体験」こそが学びで大切なんだ、という理解をした記憶があります。それが原点ですね。

    ―幼稚園のころの話なんですね

    すごく記憶に残っていますね。父はそろばん塾と学習塾の運営をしていたんですが、私が高校生の頃にその塾に来ていた小学3年生の男の子の姿も印象に残っています。彼は自信がなく先生のそばから離れられないような子で。あるときその彼が英語を習い始めたんです。すると、他の子どもたちができない英語ができることで、みるみる自信をつけていったんですよね。それまで友だちからからかわれてもやめてと言えなかった子が、「やめろよ」って言えた。その彼の姿を見て、人は自信を持ったら変わることを強く感じました。
    その後、東京の大学に進学し就職活動中に「やればできる。自信をつけよう」というキャッチコピーの塾に出会い、彼のことを思い出しました。自信をつけさせてあげられる塾ってすごいな、と感じて就職し、3年間東京で塾長を経験しました。

    ―そこからどのような経緯でJAEに入職されたんでしょう

    塾長時代に出会った中2の女の子がきっかけですね。とても明るく塾には楽しく来てくれるけれど、勉強へのやる気はない。成績もオール2で。彼女に「将来何をしたいの?」と聞くと「祖母の介護の様子を見てきたので、介護の仕事をしたい」と。すごく元気で周りも明るくできる子だったので、がんばってほしいと思ったんですが、勉強に対してはやっぱりスイッチが入らない。目の前の勉強が将来の道にどうつながっているかが実感できないんですよね。もっと彼女のスイッチが入るような、社会と関われる教育ってないのかな?と感じたんです。職場体験もまだなかった頃で、勉強だけで自信をつけることの難しさを感じはじめていました。
    その後、異業種への転職も経験したんですが、塾時代に成績だけでなく何かのきっかけで変わっていく子どもたちを思い出し、やっぱり人が変わっていく姿を見られる場所に居たいなと。そこで自信を持ったら人は変われる、という高校時代の出会いを思い出して『夢』『自信』『子ども』という3つのキーワードで検索したんです。
    すると上位に出てきたのがJAEが運営していた「個応塾」だったんです。当時のJAEのホームページはものすごく怪しかったんですけど(笑)。

    ―創業時の子ども対象の起業塾ですね

    起業塾と通常の学習塾を両方やってたんですね。「勉強だけじゃなく体験を通じて学びを育てている団体ってめっちゃおもしろいやん!」ってすぐ関西に帰ってきました。
    当時の事務所に行ったらめちゃくちゃ古い雑居ビルで、これはやばい!と(笑)。でも説明を聞いていると、大手の塾で働いていた私の経験が活かせることがたくさんある、と感じました。当時はJAEも草創期で、自分の給料は自分で稼ごう、というスタンスで、就業の環境もこれから作っていくような状態でした。

    ―JAEに入職され、はじめはどのような業務を担当されたんですか

    「わくわく」という社会体験の機会と「ステップ」という学習の場を提供する「ドリカムスクール」を担当していました。

    ▲「ステップ」では数学などの教科を中心に教えていた


    ―勉強を教えるだけでなく社会体験のプログラムを考えたり?

    そうですね。例えば「弁護士になろう」というテーマでは、子どもたちと本物の裁判を見に行って模擬裁判をしました。ほかにも「キャッチコピーを作ろう」「会社を作ろう」などさまざまなテーマでプログラムを提供していました。
    現在のJAEのプログラムにもつながりますが、「知る」「考える」「カタチにする」「伝える」(ふりかえる)というステップに1週間ごとに取り組み、4回で1テーマを実施。その上で1学期は自分を知る、2学期は社会を知る、3学期は自分だったらどう社会にアプローチするか、という年間を通じたプログラム構成でした。「ツアープランナーになろう」というプログラムでは、ツアーを計画して保護者にプレゼン、その後みんなでそのツアーに行く、なんてこともありましたね。

    ▲子どもたちがカフェを作るプロジェクト。コンセプトからメニュー開発、実際の販売までを体験

    ▲「屋台を出そう!」のプログラムで、ある大学で実際に出店し、販売した


    ―今のドリカムスクールにつながっていますね

    その中でもやりがいを感じたエピソードを一つ挙げるとすると、「会社を作ろう」というプロジェクト。そのときに参加していた1人の子は、勉強がまったくできなくてマイペース。中1の英語のテストで5点を取って、お母さんもどうしたらいいかわからない。周囲からも勉強ができない、と認識されていたんです。でもその彼が1年生の3学期に自分が作りたいのは「正義会社」だと発表したんです。「今の日本はみんな疲れてる。正義会社でマスコット人形を作って無料配布する。それを見た人が和んで正義の心を取り戻す、という会社なんだ」とプレゼンをしたんです。すると「お前すげーやん」と一気に周りの見方が変わったんですよね。褒められて認められたその経験をきっかけに、自分に自信が持てて、勉強もがんばりはじめた。ついにはテストで70点取ったんです。保護者面談でお母さんに「おれ、あほちゃうかったやろ」って。その一言にすごくグッときました。勉強でなかなか自信をつける場がなかった子が社会体験でスイッチが入って、目の前の勉強の学び方が変わった。そんな事例だったと思います。
    他にもたくさんありますが、その子どもたちの変化を見たときに、やっていてよかったと心の底から思いました。もちろん勉強だけを教えていたときにも輝ける瞬間はあったと思いますが、子どもたちの目が変わる瞬間に出会えるっておもしろいなぁと思います。

    ―現在は大学生向けのプログラムも担当されています

    「ミライ企業プロジェクト」の立ち上げがきっかけです。その中で企業と連携したPBL(課題解決型学習)のプログラムを大学生を対象に展開。そこからJAEで大学とのプログラムに関わることになりました。
    また、JAEの角野が担当していた京都女子大学の「キャリア開発」という授業を非常勤講師として引き継ぐことになったり、委託講師として京都、大阪、兵庫の大学でも教えています。キャリア、自己分析、企業との連携、業界研究などがテーマです。

    ―大学生と関わっていてワクワク感はどうですか?

    京都女子大学は、受け持つ学生の中に教員をめざす学生も多く、将来彼らが先生になったときの子どもにつながることを感じられているのですごくやりがいがあります。
    関わる学生さんたちはみんなが教育に関心があるわけではないけれど、ワークを通してはっとして視野が広がる瞬間や行動が変わっていく様子があって一緒にワクワクしています。

    ―関西学院大学のインターンシッププログラムにも関わっておられます

    関西学院大学と実施している「ハンズオン・インターンシップ」(以下ハンズオン)ですね。ハンズオンでは「学生と受け入れ企業が学び合い、考え続ける場づくり」を提供しています。

    ―具体的にどんなプログラムですか

    一般的には受け入れ企業のプロジェクトの説明を聞いて、学生が行き先を選びますが、ハンズオンでは学生がインターンシップのプログラムを考案することからはじまります。受け入れ先との対話を重ねてプロジェクト化するのが特徴です。「今、この会社にはこんなプロジェクトが必要だと思います」「このプロジェクトを実施することでこんな変化や社会への影響があります」などを学生が考え、提案するんです。
    さらには、学生が出した提案を大学側が7回くらい面談しながら、学生とプロジェクトプランシートをブラッシュアップしていきます。なぜそのように考えたのかを問い続けていくんです。その後、私たちコーディネーターもまたそのプロジェクトプランシートをブラッシュアップして、最終的に受け入れ企業の面接へ進みます。合格したらそれだけブラッシュアップしたプロジェクトプランをまた一から企業側とすり合わせ、プロジェクト化していく。その後、6週間のインターンシップでさらに自分と受け入れ企業と社会について考え続ける、というのがハンズオンです。「キャンパスを出て社会を学ぶ」というとても濃い内容のプログラムですね。

    ―とことん「考える」経験になるんですね

    やはりプログラムを学生自身が考案するので、社会情勢や受入先のことをしっかり考えないとできないですよね。バックアップする大学もコーディネーター団体もちろん大変ではあるけれど、学生が自身の取り組むプロジェクトをより理解した状態で進められるようになったと感じています。

    ―受け入れ企業は全国にあるとか

    ハンズオンは、関西学院大学ハンズオン・ラーニングセンターとJAEが共同開発し、全国に展開しています。JAEはHUBコーディネート団体となり、各地域でインターンをコーディネートしている団体をつないでいます。

    ―大学生との関わりにJAEでのこれまでの経験が結びついていますか?

    JAEの経験があるからこそ、事例はたくさん伝えられますね。あとはJAE入職後に学んだNLP(神経言語プログラミング)の要素をワークや講義ではふんだんに取り入れてます。やはり「体験から学ぶ」が好きなんですね。本を読むだけの勉強では私のワクワク感が触発されないです(笑)。

    ―ワクワクといえば現在小学生を対象としたプログラムも提供しています

    2年前から「わくわく未来ラボ」として体験型のプログラムを実施しています。例えば、子どもたちと京都の町家で「自分たちが考えたお店」をオープンする企画を実施しました。このプログラムは「自分の未来だけでなく社会の未来を切り開く」がテーマです。

    ▲2022年6月「海の恵みを体感しよう!海の環境について学ぼう!」というプログラムを実施

    ▲2022年12月には株式会社エキ・リテール・サービス阪急阪神さんとコラボレーションで、「洛西口高架下こども大学 SDGsレンジャーとして一歩を踏み出そうらくさい里山ラボ〜みかんをまるごと活用して地球を守ろう〜」を実施

    これにもきっかけがあって。小学生のときにめっちゃ夢を語ってた男の子がいたのですが、中学入学後に久しぶりに会うと「何もしたいことがない。世の中おもしろくない」と言うようになっていたんです。
    詳しく聞くと「夢を語っても、先生は無理やって言うし、周りのやつらもしらけてる感じやし」って不満しか出てこない。JAEの「わくわく」という社会体験プログラムで関わっていたときにはいっぱい夢を語ってくれていたのに、自分の手の届かないところに行った瞬間に夢がなくなっていく…。そのときに自分の関わる子どもたちだけではダメで、社会をもっと変えていかなきゃいけないんだな、と気づきました。

    ―それまでは社会を変えたい、という視点はなかった?

    正直、最初にJAEに来たときは「自分が出会った子どもたちだけは守る。ちゃんと夢・自信を育てよう」という気持ちだったんです。社会をどう良くするか、という視点は全くなかった。
    初出勤が岐阜で行われた地域プロデューサーのフォーラムへの参加だったんですが、みんなが学生のインターンを通してどう社会を変えるか、と熱く語っていて正直ドン引きしました(笑)。「なんでみんながこんなに社会社会って言ってるのかわかりません」って感想を伝えたくらい。
    でも教え子の変容を見て「自分の未来だけでなく社会の未来も切り開く」と掲げている意味が腑に落ちたんです。

    ―視点がひろがったんですね。松田さんの今後の展望を教えてください

    「人が育つ」「変わる」というところのきっかけになりたい、という思いはきっとずっと変わらないと思います。
    短期間の関わりだけでなく、成長の過程に長く関わりたいという思いも強いです。関わった子どもたちや学生にまた会いたいし、また会いたいと思ってもらいたい。それだけではなく、プログラムを卒業後にもそれぞれの場でチャレンジしている中で落ち込むことや考え込むことがあった時に、戻って来れる場を作っていきたいとも思っています。また次への一歩を踏み出す勇気を持てたり、向き合ってくれる人がいて応援しあえる場であったり、そんな場ですね。いずれにしても私たち大人もワクワクしながら、子どもたちが「自分と社会の未来も切り開く」ためにどんな場を提供できるかを考え、作り続けていきたいですね。
    JAEに対しては育ててもらったという感謝や、JAEをきっかけに広がった世界、つながりがあり感謝しています。教育に思いを持って前向きに活動している人たちが集まっていて、とても居心地がいい場所です。

    ―今後のいろいろな広がりも楽しみですね。ありがとうございました

    聞き手:林(JAE広報)

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