• 【JAEのSTORY#3】関わる人すべてが「学び合う」場を提供していきたい
  • 2022.03.01

    #長期実践型インターンシップ #アントレターン #ドリカムスクール #スタッフインタビュー

    JAE共同代表・坂野充インタビュー 

    2001年に東大阪でスタートした子ども向けの起業家教育(アントレプレナーシップ)教室。これがNPO法人JAEのはじまりです。その後、小・中・高校でのキャリア教育プログラム「ドリカムスクール」や、大学生を対象とした長期実践型インターンシップ「アントレターン」などを開発・実践。数多くの子ども・若者が未来を描くお手伝いをしてきました。創業から20年を迎えた現在、共同代表である坂野充のインタビューです。

    JAE創生期の頃から職員として働き、現在は共同代表を務める坂野充。学生時代は意外なことに没頭し、それと同じように深掘りしてきたのがキャリア教育でした。形を変えながら続いてきたJAEで、自身が経験した葛藤やこれから進みたい方向について話してくれました。

    ―出身は愛知県ですが、北海道の大学に進学し馬術部に入られていたとか

    そうなんです。きっかけは中3の頃に競馬のゲームにはまったこと。そこから競走馬が好きになって雑誌を買ったり本を読んだりするようになって。近くの図書館に「この本入れてください」ってリクエストして、最初は数冊しかなかった競馬関連の蔵書が最後には棚2段くらいになってましたね(笑)。

    ―どんなところに魅力を感じたんでしょう?

    競馬ってギャンブルのイメージが強いんですが、僕が興味を持ったのはその歴史。イギリスから始まって400年ほど歴史があって、競走馬の血統を遡っていくと、元は3頭しかいない。今世界中にいる競走馬はすべてその子孫なんですよね。その栄枯盛衰に惹かれて「競馬の仕事に就こう」と決意して、高校卒業後はオーストラリアに1年間留学して馬の調教師になるための勉強をしたんです。

    ―すごい行動力ですね

    好きなことに関しては、どんどん深堀りしたくなる、突き詰める、という特性があるかもしれない。そう思うと、今の仕事もその特性の延長線上にある感じがしますね。

    オーストラリアでは、競馬場でインターンを経験してそのまま競馬関係の仕事に就く人もいました。でも競馬業界が非常に閉鎖的な世界に感じられてそのまま身を置くことに迷いはじめたんです。帰国後に北海道の牧場をまわったりもしたんですが、何も決まらなくって。そんなときに牧場の元経営者という方と話す機会があり、大学の馬術部という選択肢を勧められたんです。そこから大学受験をして立命館大学へ進学しました。

    ―大学での様子やJAEに入るきっかけを教えてください

    大学では予定通り馬術部でがんばったんですが、結局企業に就職活動して内定をもらいました。ただ、いろんな企業を見ても正直本当に自分が心の底から行きたい会社ってなかったんです。それならいつかは自分で事業をやるしかないのかな、と感じていて。そこで何かしら自分が問題意識を持っているものを探していました。その中で出会ったのが、今で言うキャリア教育だった。自分自身が中高生の頃に、働くことについて考える機会ってほとんどなくて、これってどうなんだろうって思ったんですよね。それで関われる団体を探して出会ったのがJAE。結果的に企業の内定を辞退して、卒業後すぐにJAEで働くことになったんです。

    ―その頃JAEは創業何年目だったんですか?

    創業3年目の頃です。僕自身は、JAEに入ってからは主にインターン事業の『アントレターン』を担当。大学生と企業を繋ぐ役割です。職員もまだ3人で、それぞれの担当があったし、教えてもらえる先輩もいなくて最初は特に苦労しました。


    ▲コロナ禍以前のインターンシップフェアの様子

    ―JAEの創生期ですね

    そうそう。それから人も少しずつ増えていって。JAEが10年目の頃は、なんかゲリラみたいな、地下組織みたいな若者集団でした(笑)。「日本の教育を変えてやるぞ!」みたいな勢いがあって。今の教育に対して「もっとこうあるべきだ」という強い想い、「既存の学校や塾とは違うものをつくるんだ」みたいな気持ちが、すごくみんなの中にあった。そこから徐々にJAEが国の事業に関わることになったり、自分たちの存在が必要とされていくことに対する誇りみたいなものをすごく持ってました。ただ、その後反動もあり…。

    ―反動?

    行政の予算がついて、人もどんどん増えたんですよ。最大で職員が23人とか。でも、その事業を継続するために必要なことや、その事業が終わった時の対策ができていなくて、翌年に人件費も大幅にカットせざるを得ないような経営状況になってしまった。結果的に職員が何人も辞めてしまって…。相当キツかったですね。でもそのときはまだ僕は代表じゃなかったから、どこかで自分事として捉えられていなかった部分も正直あったんです。でも、それはもうまずいと思った。こんな状況を引き起こしてしまった一端は自分にもある。そのことが自分の中で十字架になって。それで当時の代表の山中さんに「こんなことは二度と起こしたくないので、もっとしっかり経営に関わりたい」って話したんです。ちゃんと責任を負いながらやりたいって。

    ―大変だったんですね。

    そうなんです。すると山中さんに「じゃあ代表どうぞ」って言われて(笑)。

    ―そのタイミングで?!

    いずれ交代しようという話も出はじめてはいたタイミングでもあったんです。僕も責任を果たしたい、という思いが強かったので2013年、代表に就くことに。でもそのときも人が全然足りてなくて、代表と現場の両方を試行錯誤しながら必死でこなす日々でした。そこから2年くらいはもう、大変過ぎて記憶がないくらい。それ以降もずっともがいて、ようやく自分の中で方向性が見えてきたのが2019年くらいです。

    ―どんな方向性?

    ちょうどその頃にJAEのミッションを再定義したんです。それまでは若者に対してアプローチする内容だったけど、子どもや若者だけじゃなく、それに関わる大人もそれぞれが学び合えるような機会をつくるという方向性になりました。

    ―再定義のきっかけはあったんでしょうか

    企業の社員さんが学校に授業をしに行く『ドリカムスクール』というプログラムがすごくはまったんですよね。

    社員さんがプロジェクトチームをつくって、何日もかけて試行錯誤しながら授業をつくり上げていって。大変なこともたくさんあったけど、その過程で、社員さんがその会社で働く意味を見直したり、自分の会社が取り組んでいることの意義を再認識したりしていた。さらに実際に学校に授業をしに行くと、子どもたちにもすごく喜ばれて。そのときに「あ、これだな」という感覚がすごくあって。

    ―みんなが学び合ってますね

    そうなんです。さらに学び合うのが大事だと思う理由がもう一つあります。インターン事業に長く関わっていると、そのインターンがうまくいくには学生個人のポテンシャルよりも、その会社がいかに学生を活かせるかの方が大事だと感じていて。もちろん学生それぞれの能力差などもあるけれど、それも含めて学生を活かせる会社と、活かせない会社がある。インターンの機会を活かせる会社は、社員も生き生きしていたりする。

    ―人が育つ環境を提供する仕組みがある、と

    会社って、社員にとっていかにいい環境をつくっていけるかが大事だと思うんです。個人に対して組織がいい形で関わって、その人が伸びていく。その結果、組織も伸びていく、という形ができるとすごくいい。では何が組織に必要なのか、を考えると個人個人をよく見てよく話を聞くということ。結局そこしか起点にならないんです。

    もちろん会社は事業や仕事が中心にはなるんですけど、その人が一番いい形で働けるってどういうことなのか、そこに向き合うことが一番大事なことだと思います。でもそれって結構難しい。仕事の進捗確認はしても、本当は何がやりたいかなんて本人も話さなかったりしますし。

    ただ、アントレターンやドリカムプロジェクトを通じて社員のみなさんが「人」にフォーカスし、自身や組織が成長していく姿を見てきました。だからこそ、この部分はもっと深めていきたいと思っています。

    ―JAEは『アントレターン』や『ドリカムスクール』を通して「学び合う」環境を作っていくんですね。

    そうですね。企業と学生、大人と子どもが、提供する側される側という関係性ではなく、関わり合いの中でお互いに学び合っていける、そんな場をつくりだしていきたいです。

    聞き手:増永(JAE広報)

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