• 【JAEのSTORY#11】失敗を価値に変える実践の機会を提供
  • 2022.10.21

    #アントレターン #大学生 #キャリア教育 #起業家教育

    追手門学院大学 共通教育機構 特任准教授 WIL推進センター長  大串恵太さんインタビュー

    2001年に東大阪でスタートした子ども向けの起業家教育(アントレプレナーシップ)教室。それがNPO法人JAEのはじまりです。その後、小・中・高校でのキャリア教育プログラム「ドリカムスクール」や、大学生を対象とした長期実践型インターンシップ「アントレターン」などを開発・実践。数多くの子ども・若者が未来を描くお手伝いをしてきました。

    今回は、JAEの職員として起業家教育教室の運営などに携わり、現在は追手門学院大学のWIL推進センターのセンター長として活躍されている大串恵太さんのインタビューです。

    JAE職員として従事後に、2大学でキャリア教育に携わってきた大串さん。ご自身の学生の頃からJAE職員時代、海外での生活、大学教員と多様なフィールドで活動してこられたお話を伺いました。

    ―2022年4月からWIL推進センター長に就任されました。センターについて教えてください

    WILは「Work-is-Learning」の頭文字で、2019年から追手門学院大学が掲げている新しい教育コンセプトです。インターンも含め大学教育と職業実践を統合させた学びである職業統合的学習(Work integrated Learning)という概念がありますが、それらも包含する形で定義しています。
    行動(Work)を通じて学修(Learning)を行い、それを即実践に反映する経験を蓄積することで、予測困難な状況の中でも行動し、学び続ける力を養う、というもので、その取り組みを全学で推進していく役割を担っています。コンセプト立ち上げ時から中心となって関わってきましたが、今年度からセンター長に就任しました。具体的な取り組みとしては、インターンシップや産学協働型科目の企画運営、各教員や学生によるプロジェクトの支援などがあります。

    ―学生のプロジェクトはどのようなものですか?

    学生たちが企画から運営までを担うプロジェクトを毎年募集しているんです。審査を通過すると、大学から予算が与えられます。昨年は、以前から学内で実施していたキャンドルナイトイベントを新たな連携先と取り組みたいという提案があり、近隣の大型商業施設で開催することになりました。商業施設なので本物のキャンドルは使えず課題もあったのですが、LEDキャンドルを導入することで開催が実現し、たくさんのお客さんが来てくれました。今年も実施予定と聞いています。
    他にも地域防災について啓発する「防災フェス」など、学生主導でさまざまな企画が生まれています。

    ―そもそもキャリア教育やJAEとの出会いを教えていただけますか

    結構、紆余曲折してます(笑)。元々高校教員になりたかったのですが、ダイレクトに教育学部へ進学するのは面白くない、と感じて。そこで元々心理学や認知科学に興味があったので信州大学の人文学部に進学し、2年生からは結局哲学を専攻しました。4年間専門について学び、さぁいよいよ、と学部卒業後に聴講生として信州大学の教育学部に入ったんです。ところが、全く面白くなかったんですよね。
    振り返ると小中高校で自分が受けた教育にすごく不満・疑問があった。
    小学1年生の時に、ひらがなドリルを「一行」分だけ練習してくるという宿題が出たんです。とても楽しくて1日で全ページやっていったんですよね(笑)。褒められると思って学校に行ったら、怒られた。これは1つの例ですが、すごく自分たちの可能性をつぶされている、失ってる部分があるという思いが強かった。だから教育学部にいけば、どう教育を変えていくのか、どんな新しい教育をやればいいのかという話が聞けると思ってたのに、全くそんな話がなくって。周りの学生と話しても「子どもが好き」くらいの理由しか聞けず、気持ちが続かなくなって数か月でドロップアウトしました(笑)。もちろんちゃんと探せばそういう講義もあったはずなので、運が悪かったというか、自分が至らなかった部分もあったのだろうとは思っています。

    ―その後はどうされてたんですか?

    大阪の実家に戻り、1年半くらいはニート・フリーター。ニート時代は、ただただネットを見ているような日々でした。でも教育をなんとかしたい、という気持ちだけはあったので勉強は続けていました。そんなとき図書館で岩波新書の「社会起業家」という本に出会い、NPOという存在を知ったんです。こういう手法があるんだ、面白そうだしこれはNPOをやるしかない、と感じて。翌日に本屋さんで「元気なNPOの育て方」(戸田智弘・著)を見つけ、その中でJAEが紹介されていたんです。大阪に教育系のNPOがあるんだ、ここで修行させてもらおうと思いました。

    ―すぐにコンタクトを取られた?

    ビビリだったのでちょっと時間がかかりました。ホームページの小さなお問合せフォームに3,000字くらい自分の思いを書いて、とにかく一度会ってくださいって送ったんです(笑)。そしたら現共同代表の坂野さんから「ようわからんけど来てください」という感じの返信がありました。当時坂野さんは事務局長だったんですが「何か関わらせてほしい」とお願いしたら「今職員の募集をしていないし、給与は払えないですよ」と言われて。「ニートなんで、給与なくても大丈夫です、ただ、交通費だけください」と、ボランティアで入らせてもらったんです。坂野さんからは後に、「ヤバいやつが来たと思った」と聞きました(笑)。2〜3か月くらいボランティアをして、その後有給のインターンになり、翌2006年に正職員になりました。

    ―はじめはどんなことを?

    当時、小中学校でのドリカムスクールが始まった頃だったんですけど、そのサポートや小中学生を対象とした起業家教育の教室運営に関わっていました。正職員になってからは主にその教室の運営が担当でした。職業体験プログラムの教材作成から、コーディネート、ファシリテーターまで全てを担当。小中学生との活動が面白くて一緒に楽しんでましたね。当時知り合った子どもたちはすでに社会人ですが、今でも連絡を取ったり遊んだりしています。


    ▲教室時代のプログラム風景。起業家教育と言ってもビジネス的なことばかりでなく、時には屋外での体験学習なども実施していた。

    ―プログラム開発や運営など、今につながっている部分はありますか?

    JAE創業者の山中さんが考案した「知る・考える・形にする・伝える」という4段階の『ドリカムメソッド』があって。多様な仕事があることを知ってもらって、その仕事の中の課題解決を考え、プランを作成し、プレゼンという形でアウトプットする、という流れですね。
    そこに独自性として「感じる」というステップや「振り返る」という場面を自分なりに付け加えていました。今でも活用しているメソッドです。
    また、JAE職員時代に初めてファシリテーションという言葉に出会って、その考え方がすごく自分にフィットしたんですね。ティーチングとは違い、子どもたち・学生が主役であり、彼らの学びを促進するために支援したり鼓舞したりする役割だと。自分でもすごくその手法を勉強しましたし、研修にも行かせてもらって。今もずっと仕事で活用しているスキルですね。

    ―自分が受けた教育と違うものを提供したいという思いが強かった?

    そうですね、やっぱり学習者側が中心で主役、というところ。時代が変わって先もわからない中で、学生たちが常に自分で学んで未来を作っていけるような手助けというか、その力を得てもらうのが“教育機関”の役割だと思っています。

    ―その後JAEを一度退職されてニュージランドへ行かれました

    JAEで4年が過ぎる頃、仕事に行き詰まりを感じていました。ずっとPDCAのD、行動に移すことが苦手だったんですね。大きく自分を変えないと、いうことと海外に一度行ってみたい、ということでワーホリ資格ギリギリの29歳で渡航しました。NZで自分に課していたのは、目の前にチャンスがきたら100%行動する、こと。さらに何か自分で仕事を作りだそうと決めていました。
    どちらも自分なりに達成でき、自分の体幹が変わったことを実感して帰国。チャレンジを歓迎する文化の影響もあって、JAEに戻ったときに仕事の進め方が大きく変化していました。NZでの経験のおかげでしたね。

    JAEに視察に来たNZの青少年分野のNPO職員(写真左)と再会。彼らとの出会いはNZ渡航のきっかけの一つでもあった。

    ―その後、和歌山大学でのキャリアをスタートされたんですね

    JAEに復帰した半年後に、和歌山大学でキャリア教育領域の教員を探しているという情報がJAEにきて。そこで手を挙げて応募し、キャリアセンターに配属されました。JAEでアントレターンを担当していた職員をもう一人引っ張り込んで、一緒にプロジェクト型の教科やインターンプログラムを構築していきました。その間にJAEのインターンのノウハウを自分の中に落とし込んで、2年後に追手門学院大学に移ったんですけど、その時もまたJAEの職員にも参画してもらって。そこで4年くらい一緒にキャリア教育を進めていきました。本学に移籍してもう10年になりますね。

    ―プロジェクト型のインターンについて教えてください

    「追大実践型インターンシップ」と銘打って、受入先の実際の事業課題等に取り組む中長期のインターンシップを展開しています。プランニングで終わらず、実行することを大切にしています。特徴的なものとして、本学はガンバ大阪とパートナーシップ協定を結んでおり、その一環で長期実践型インターンシップを毎年実施。6か月間、50名以上の学生が試合運営等の業務に携わります。スタジアムでの来場者の案内や現場のトラブル対応などが主な仕事内容ですが、どのような水準や手法で進めるかは全て学生が考えています。
    (詳細は『追手門学院大学2021年度単位認定型インターンシップ報告書』p20〜を参照 )
    終了時に各学生と面談するのですが、それぞれ転換ポイントがあって、それはたいてい何かを自分が任されたとか、率先してコミットしてやり切った時なんですね。私もそういう機会が多くなるように意図していますが、そこも先輩たちが後輩を指導していく形になっています。「ちょっと発言の場面を作った方がいいんじゃないか」とか、話し合ってくれていますね。他者から見れば小さなチャレンジであっても、その繰り返しで成長していってると思います。

    ―コーディネーターとして意識されていることは?

    チャレンジの上での失敗は賞賛され、大歓迎される場だ、という心理的安全性をとにかく確保できるように強調し続けていますね。

    ―まだまだ失敗を恐れる風潮は変わっていない?

    いやぁ全体としては本当に変わってないですね。自分がその典型例だったので偉そうには言えないですが…。総合的学習の時間であったり、今だと探求など、初等中等教育も変わってきたので、確かにプロジェクト学習を経験しているような学生も増えています。
    ですが、その活動内容よりもコンセプトが問題なんですよね。生徒の主体的な活動を謳っていても、結局は先生がいいと思うことをするのが正解、という行動様式が変わっていないケースがある。正解は彼らが探し創っていくんだ、と先生側が腹落ちしていないと、学生はそれを敏感に感じ取り、本当の意味での主体性にはつながりません。
    目標を持ってトライアルアンドエラーを繰り返し、改善を積み重ねていくと「チャレンジしてみることに価値がある」ことを学生が体感するんです。すると取り組む姿勢が少しずつ変わっていく。さらに何かを形にする経験がその後の行動を支える自己効力感、自信につながるんです。
    大学で机上の知識だけを詰め込んで社会人になっても、長い目で見れば社会で通用しないし、楽しめない。だったら学生の時から試行錯誤を重ね、失敗を学習に変えながら価値を作りあげていくというマインドセットを手に入れておいた方が絶対いい。そこが本学のWILの存在意義ですね。もちろん大学は学問するところですし、究極的には理論の大切さも忘れてはいけませんけどね。これからの社会で自分自身の幸せなキャリアを実現していくには、こういった思考・行動様式が助けになるのではないか、ということです。

    ―キャリア教育だけでなく、IT関連のイベント運営にも携わっておられるとか

    ITに限らず、元々先端テクノロジーが好きというのもあるんですが、視察でシリコンバレーに行った際にSingularity University(現Singularity Group)の存在を知ったんです。先端テクノロジーを使って5年で10億人にポジティブなインパクトを与える取り組みを加速させるために、教育・研究・スタートアップ支援などに取り組む組織です。アポ無しで本部に行ったら門前払いされましたが(笑)、京都に支部(SingularityU Kyoto Chapter)があることを知って、テクノロジーの知識はないけれど関わらせてほしい、とイベントの運営に携わらせてもらうようになりました。周りはベンチャーキャピタルや起業家の方ばかりだったので異色の存在だったと思います(笑)。
    そこで、カジュアルなイベントを毎月実施する企画を提案し、現在ではリーダーシップメンバーとして30回以上そのイベントを運営してきています。
    このように行動して「コミットする」ということもJAEで学んだことの1つですね。本当に汗をかいて動いていると、その場所で自分のニーズがどんどん上がっていくんです。学生にも、いかに相手に貢献できるかを考えて行動していたら自分の存在が大きくなっていくよ、と伝えています。


    Singularity Groupとも関係が深い、12億円のビジネスコンペを実施するXprize財団のスタッフ(中央)の来日をアテンド。写真左はSU Kyotoのリーダーシップメンバーで、ハードウェアと製造業テックに特化したベンチャーキャピタルMonozukuri Venturesの牧野社長。

    ―JAEの存在意義や価値は、役割はどんなところにあると思われますか

    やはり20年継続しているということはそれだけ支持されているしニーズがある、ということ。JAEが掲げている「未来を作る若者たちを育成する」というところに共感する人たちもいる。正直言って経営が上手なわけでもないし、特別なスキルがあるメンバーが揃ってたわけでもない。ですが、ちゃんと志があってその火を掲げ続けているところに価値があるのかな、と。関西では「キャリア教育のことなら相談できる」と言ってもらえる存在になっているんじゃないでしょうか。
    また、これまで関わった職員やインターン生がいろんな場所に広がっていってるのも1つの成果だと思います。どんどん人材が流出しているとも言えるか(笑)。若者や支援者、連携企業も含めて点を面にして、プラットフォーマー的な動きができるはずだと思っています。今まで以上に連携企業の力を引き出し、高めていけると次のステージなのかな、と感じています。

    ―ご自身の今後について

    インターンやキャリア教育という取り組みをすればいい、という手法論になってしまいがちなんですけど、違うんですよね。キャリアと言っても仕事という観点だけでなく、それぞれの生き方をよりよくしていくための学びを提供することがキャリア教育の一連の取り組み。国語だろうが、経済学の授業だろうが、先生が「キャリア教育の視点・意識」を持っているか、が重要なんです。
    大学等でも未だ認識が十分でなく、“キャリア教育”がただの就職支援に終わっているケースもまだまだあるようです。私自身も、本学で実践しているノウハウを抱え込むのではなく、どう広げていけるかをずっと考えています。論文にするのも大事なことですが、とにかくオープンソースにしないといけないな、と強く感じています。
    JAEに入職した頃に抱えていた問題意識は、時代の変遷とともに変化している部分もありますが、どうにかしないといけない、と憤りを覚える社会課題もたくさんあります。根本的には『あらゆる人の可能性が、不合理に損なわれることなく、広がり続けることが可能な社会を作りたい』、ということは変わりません。そういったことにちゃんと取り組んでいくことで、自分のエネルギーを100%以上引き出していかないといけないと感じています。SU Kyotoの取り組みももっと加速したいし、あとは…、また小中学生・高校生と関わりたいなと思ってたりもしますね。

    ―お忙しい中ありがとうございました。益々ご活躍されること、またご一緒いただけることを願っております。

    聞き手:林(JAE広報)

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